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Tokyo Homeliness

東京でのんびり行き(生き)迷う会社員。 ブログ名がなんだかHomelessっぽいですが、家はあります。 Homeliness「家庭的{かていてき}なこと、日常的{にちじょうてき}なこと、平凡{へいぼん}さ」 最近は断捨離やシンプルライフに凝ってます。心の中では北欧女子とか目指してます。

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ひな祭り

雛人形を十数年ぶりに出しました。
絶賛断捨離したときに雛人形も捨てようとしたのですが、さすがに顔のついているものが捨てがたいのと、親のオッケーが出なかったのでとっておいていました。

女児が生まれたので初節句はどうするのか、ということになり久々に雛人形登板のチャンスが回ってきました。
人形メーカーのサイトとかを見ると本来はそれぞれの女児の厄を人形が背負ってくれるものなので、一人ひとつが基本らしいです。
でもそれって、いつから言われていることなんでしょうか。ひな祭りが戦前の一般家庭でどう祝われていたのかがいまいちネットでは調べきれませんが、本当に一般家庭で雛人形持ってたんでしょうか。もともとこんなもの、富裕層しか持ってなかったんじゃないかと、、。

ちなみに実家にある雛人形は7段飾りです。私が生まれた当時は2LDKのよくあるマンションに住んでいたんですが、そこにこれを保管していたとか、今から考えてみると正気の沙汰じゃありません。骨組もあるので、押し入れの1/4(よくあるふすまタイプの押し入れの、引き戸1枚分の下半分)が一年に一回のひな祭りのために犠牲になります。よく買う気になったな、、、。
ちなみに7段飾りは高度成長期以降バブルらへんまではやったらしいのでちょうどぴったりな時期です。

飾りながら、人形業界が一般人向けに宣伝するようになった時期+自分はきちんとした雛人形を持っていなかった+自分の親も持ってない、というのがあって、一人ひとつと言われてもひるまず購入できる環境が生み出されたんではないかと推測しました。そう思うと、素晴らしい親心ですね(涙)
なんとなく団塊の世代とその上の世代がものを溜め込んでなかなか捨てないという理由もこの辺にあるんじゃないかなーと思ってきました。

ただ、今後、親も祖父母も(なんなら曾祖父母も)戦後生まれという状況では、全員が雛人形持っててもおかしくないので、人形業界は一人ひとつと煽るだけじゃなくて神社と提携して人形を心苦しくなく処分してくれる仕組みだったり、周りの人形はそのまま利用してメインのふたりだけ新しいものに交換するプランだったりを提案していくやる気を見せて欲しいところです。「全部買うのはスペース的にも経済的にも大変なので、お内裏様とお雛様だけでも大丈夫です」とか言っているところもありますが、それだって結構なスペースを取ることには変わりないのと、旧いものはどうすればよいのか、、と途方にくれます。

ひとまず一人いっことはいえ、スペースの限界があるので、私のを飾って今年は終わりにします。何十年前の人形ですが、カビも汚れもなくきれいな状態でした。
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育児スタートの話

出産前に、「出産後の育児スタートのあまりの過酷さに鬱になった話」を読んでびびってたんですが、、

思ってたよりは辛くはありませんでした。

まず、出産後
骨という骨がきしむこともなく、普通に分娩後仮眠とったらベッドの上から友達や家族にガンガンLine送れるくらいは元気でした。

入院中
この話だと相当辛そうですが、、
母子同室が私の病院も推奨されてましたが、最初の夜は疲れてるってことで、そのあとも会陰切開のところが痛いとか血圧上がっちゃって、とかで同室で過ごしたのは2晩だけでした。ということで夜は7時間睡眠とかしてました。
しかも授乳の時間頃になると助産師さんが回ってきてくれて授乳を手伝ってくれるし、結局出ないときはミルクを作って持ってきてくれました。助産師さんの巡回がなかったら病んでたと思います。
あと、ミルクのほうが乳首も痛くないし、赤ちゃんも泣かないし、哺乳瓶でミルクあげてるときが一番かわいい気すらしてました。

退院後
退院後は夫とともに実家暮らしをしてたんですが、基本昼間は母に丸投げくらいの勢いで暮らしてました。やることはミルク作成(も自分が起きてるときだけ)と沐浴・夜の時間帯(22:00-6:00)のお世話のみという、里帰りしてない人から見るとまじ貴族みたいな暮らしをしてました。しかもミルクなので、きちんと3時間は寝るので、睡眠不足もそこまでひどくはなく。母乳で睡眠時間が少ないと病みそうです。夜独りで起きて授乳してるだけで鬱々とした気分にはなりました。
実家でだらけすぎていたので、なかなか産後の体重が減らなかったんですが、自宅に戻ってから急に減りました。いかに何もやってなかったか、、、。

鬱になった話の人は赤ちゃんに対する責任感が強すぎたのかなーと思いました。たまに自分は赤ちゃんへの愛情がちょっと薄すぎるのかな、、と心配にもなりますが、お蔭で鬱状態にはならず過ごせてます。
子供がいるうちは大家族で過ごすのもいいかなぁと最近思ってきました。

出産と妊娠の感想

妊娠・出産+その後の入院の感想など

妊娠中
つわりもほとんどなく、かなり順調なほうだったと思います。計画分娩で予約をしていたので、その直前の週末に最後の腹がでた写真撮ろうと思ってたのが、予定が前倒しになって写真撮れなかったのが無念です。

和痛分娩
思ったより痛みが減らなかった(減ってたかもしれませんが、普通分娩してないんで比較ができないっす)ので、やってよかったかと言われると微妙ですが、「麻酔がある」というのを心の支えに出産に挑めたので、なかったらマジ泣いてたと思います。

会陰切開
縫ったところが痛いというのはちょっと聞きますが、マジで辛かったです。iPhoneで、「会陰切開 いつまで 痛い」とか繰り返し検索しました。つーかあまりの痛さに泣いたし、痛みのせいで赤ちゃんの世話がまともにできませんでした(痛みに弱すぎっつー話もありますが)。
立ったり座ったりするだけでも相当辛いのに、そのうえ赤ちゃんが泣きだしたら、ベッドから立ち上がり、コット(赤ちゃんが入っている運ぶ台みたいなやつ)から3キロを近い赤ちゃんをすくいあげ、抱っこして、座って授乳する(しかも一回コットに戻してもまた泣いたら、再度繰り返す)というのがマジ拷問かと思いました。この痛みがなかったらもっと生まれたばっかりの赤ちゃんと楽しくたわむれられたと思います。。。

この会陰切開問題を解決できたら、少子化はもうちょっと解決できるんじゃなかろうかと。。陣痛の時はみんな囲んで応援してくれるのに、この微妙なゾーンの激痛は誰も応援してくれないという、、、、
トイレに行くのも恐怖で、恐怖を乗り越えた産後初めての排便は(恐怖のあまりだいぶ日数が空きましたが、、)産み落としたぜ!感がマックスでした。

授乳
授乳は入院中あまりうまくいかず、ミルク活用でした。
ネット見ると結構母乳が出なくて悩んでる人が多い感じでしたが、もともとミルクと混合にしようと思ってたので、ぶっちゃけ自分の体が辛すぎることもあってもう母乳だろうがミルクだろうがどうでもいい感じでした。

病院選び
自宅の近くの病院にしました。結構大きな病院で分娩・入院費も高めでしたが、助産師さんもみんな親切でここにしてよかったなーと思いました。追加料金払って個室にしましたが、自分の体が辛かったことや、赤ちゃんが泣いても気兼ねせずに済んだので良かったです。泣いたから迷惑かけないように素早く抱き上げて、泣き止まなかったら廊下に出てゆらゆらするとかマジ無理だったんで。。



まぁとにかく、、、会陰切開の痛みが辛くて、ほかのことが結構どうでもよくなるくらいの勢いでした。ネットで検索しまくって、溶ける糸で縫われていた人も抜糸してもらうと引き攣れがなくなって痛みが減るとあったので退院時の診察で糸を抜いてもらいました。それで大分よくなりましたが、立ったり座ったりが苦痛なくできるようになったのは退院3週目くらいからでした。長かった、、、。


出産レポート5

出産
で吸引分娩の器具を見せてくれて説明してくれるわけですが、もう自分としてはどうでもいいっすの境地です。さらにうまく出てくるよう会陰切開しますと宣言されます。
世の中の妊婦が恐れる会陰切開!!自分は回避するべく、妊娠後期からトイレに引きこもり会陰マッサージを実施してきたんですが、マッサージの力及ばず、、、。局部麻酔を打たれて切開されまっした。
で、最後いきんでください!!と言われて力を込めると、ずるずるっと産科医が赤ちゃんを引っ張り出しました。
自分の想像ではそこで「産まれてきてくれてありがとう」みたいな感じで赤ちゃん見たら涙が出るかと思ってましたが、もう疲れ果てていてそれどころじゃありませんでした。
しかも赤ちゃん拭かれている間も、胎盤出したり、切ったところ縫われたりといろいろ処置があります。胎盤出るときとかちょっと痛いみたいなんですが、そこはノー感覚だったのは和痛分娩の力かもしれないです。
で、しばらくして赤ちゃんを連れてきてもらいましたが、もう自分のことで精いっぱいなダメ母なので「あ、、どうも。。」くらいの薄い感じで終了しました。

ということで長くなりましたが、出産レポートでした。

出産レポート4

分娩室 ラスボスの部屋
で、いよいよ分娩室です。あのよく見る分娩台にのぼります。病院では好きな体勢を選べるということだったんですが、麻酔をしている場合はあのよくある上向き・足開きの姿勢でないとならないそうで、私に選択の余地はなしでした。
で、もう麻酔きいてねーんじゃねーかよ!和痛ってきかねーよ!とキレ気味になり、追加麻酔を依頼し断られる、を数度繰り返しました。

もう出し切るまで、この痛みから逃れることができないのかと思うともう目の前が真っ暗になるくらいつらい気分でしたが、そのうちようやくよくテレビである「赤ちゃん見えてきましたよ」という声をかけてもらえました。

が、ここでもう仰向けで力を入れることでもともとある腰痛が悪化し、もう腰痛のせいか陣痛なのか分からぬ痛みにやられて自分の呼吸もうまくできなくなっていました。
助産師さんに胎児の心拍も落ちるから深呼吸をと言われても対応できず、酸素マスクが装着されました。
ここで、産科医登場で、「追加の麻酔するか、このまま産むか。追加の麻酔すると陣痛が弱まって出てくるのが遅くなるかもしれないけど。」という二択を迫られました。
当然ヘタレ人間なので目先の快楽が一番大事なので追加麻酔一択でお願いしました。で、追加してもらいましたが、さすがに痛み半減!などには至らず、、、。そうこうしている間に胎児の心拍が落ちているので吸引分娩にすることになりました。
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HN:
彷徨える蒼い旅人 ドナドナ
性別:
非公開
自己紹介:
人に言わせると、見えてるはずの壁に向かって全力疾走でぶつかりにいっているらしいです。
連絡はこちらまで。 (リンクフリーです) tokyo.homeliness アットマーク(’に置き換えて下さい).gmail,com
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